高階の新河岸で"パソコン爺"が隠れ処で呟く!。

住マイルリハビリ日記です。スキルアップの為と暇つぶしでパソコン爺。

酷暑の日は関東地方からは去りつつあるが、「残暑熱中症」警戒は怠りなく!。

--- ようこそ!---こいこい ー-- 住まいる ---新河岸川 --- 
☆天気予報(川越)8/27(火)32℃/22℃雲/雨 28(水)28℃/22℃曇/雨。
◇「熱中症」「熱帯夜」対策の1つに「麦茶」も良いよ、日常の飲み物としてください。

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★住宅で2人死亡 熱中症か 東京 足立区!。足立区の住宅で、70代と60代の夫婦とみられる2人が死亡しているのが25日、見つかりました。警視庁は現場の状況などから熱中症で亡くなった疑いもあるとみて調べています。警視庁によりますと、25日午後4時すぎ、足立区伊興の集合住宅で男女2人が死亡しているのを警察官が見つけました。この住宅を管理する不動産会社の社員から「異臭がする」という連絡があり、警視庁が室内に入って確認したということです。この部屋では70代の夫と60代の妻が2人で暮らしていましたが、今月2日ごろ近所の住民が夫を見たのを最後に、2人の姿は確認されていないということです。室内にエアコンはなく、窓は閉めきった状態でした。警視庁は現場の状況などから2人が熱中症で亡くなった疑いもあるとみて、身元の確認を急ぐとともに、詳しい状況を調べています。
◇年中無休:「在宅リハビリ」介護者の見守り・介助・同行が必要。1日の動作(朝6:00起床・昼・晩22:00就寝)、歩行器・車椅子・椅子・ソファー・手すり・等の歩行(立位)ベッド(仰向位)・食事・用便・シャアワー・等、体幹・四肢の運動、筋肉協調、体力の向上維持。
☆季節の花(8月):アガパンサス(紫君子蘭)花言葉:恋の訪れ・愛の便り
☆11:20~11:50、訪問看護(看護師のバイタル測定・問診及び触診内診・ヘルスケアー)・生活状況相談等。※看護師の診断・会話。高階の暇人「爺の呟き」 Have a nice dey ! 。

f:id:azims:20190827082731j:plain☆錦織 相手途中棄権で全米OP初戦突破<男子テニス>!。テニスの全米オープンアメリカ/ニューヨーク、ハード、グランドスラム)は26日、男子シングルス1回戦が行われ、第7シードの錦織圭が6-1, 4-1とリードした時点で世界ランク205位のM・トランジェリティ(アルゼンチン)の途中棄権により、2年連続7度目の初戦突破となった。

f:id:azims:20190827082648j:plain☆丸山城志郎が涙の金「普通の選手より長くかかった」!。男子66キロ級決勝、キム・リマン(後方)を下し、優勝した丸山はガッツポーズを見せる。<柔道:世界選手権>◇決勝◇2丸山城志郎が涙の金「普通の選手より長くかかった」丸山城志郎(26=ミキハウス)が、キム・インファン(27=韓国)に合わせ技で一本勝ちし、悲願の世界選手権初優勝を飾った。

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石川遼連続Vで東京五輪視野 世界ランク56人抜き !。<男子ゴルフ:長嶋茂雄招待セガサミーカップ>◇25日◇最終日◇北海道・ザ・ノースカントリーGC(7178ヤード、72ヤード)石川遼(27=CASIO)が3季ぶりの復活優勝を果たした前戦の日本プロ選手権に続き、自身初となる2大会連続優勝を果たした。5バーディー、1ボギーの68で通算20アンダー、268。初日からトップを譲らず自身3度目の完全優勝。賞金3000万円を獲得し11年以来のランキング1位に浮上した。26日付の世界ランキングで日本勢4番手の122位浮上が予想され、2枠ある20年東京オリンピック(五輪)出場へまた1歩前進。

f:id:azims:20190827082515j:plain☆ノルディック、渡部暁が優勝 GP複合個人第1戦1!。ルディックスキーのグランプリ(GP)複合は25日、ドイツのオーバービーゼンタールで個人第1戦が行われ、渡部暁斗北野建設)が優勝した。強風のため前半飛躍が実施できず、23日の予備飛躍(ヒルサイズ=HS105メートル)の結果を採用して3位からスタートした後半距離(10キロ)で逆転した。 ほかの日本勢は渡部善斗北野建設)が3位、永井秀昭(岐阜日野自動車)は16位、山本涼太は25位、伝田英郁(ともに早大)は37位だった。

f:id:azims:20190827082444j:plain☆サンマ漁、浜にようやく活気 根室・花咲港に500トン初水揚げ!。道東沖サンマ漁の棒受け網漁で主力となる大型船(100トン以上)43隻が26日、根室市の花咲港でサンマ約500トンを初水揚げした。例年の主漁場のロシア200カイリ水域で魚群が見当たらず、全船が北太平洋公海で操業した。漁期序盤の不漁が予想される中、まとまった水揚げに浜がようやく活気づいてきた。大型船は20日に解禁され、釧路・根室管内の各港から55隻が出漁、花咲港から千キロ以上東の公海で操業した。花咲港では26日午前3時半ごろから水揚げが始まり、今季初の100トン超の水揚げにサンマを満載したトラックが頻繁に行き交った。「魚体はあまり良くなかった」ただ、1隻当たりの漁獲量は10トン前後が中心で、例年の数十トンと比べると大幅に少ない。第81豊清丸(199トン)の甲板員柏崎陽平さん(25)=宮城県気仙沼市=は「魚体はあまり良くなかった。魚群がいなければ話にならない。今後は何とか群れを見つけたい」と話した。今季のサンマ棒受け網漁は小型船が10日、中型船が15日に解禁されたが、漁場が遠く魚群も薄い影響で、花咲港での初水揚げは昨年より8日遅い22日だった。水産庁によると、日本近海へのサンマの来遊量は9月中旬まで極めて低調に推移する見込み。 

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★米「中国の悪質な行動抑止」…中距離ミサイル実験 !。スパー米国防長官は21日、米FOXニュースのインタビューで、米国が実施した中距離ミサイルの発射実験について、「中国の悪質な行動を抑止するためにも、米国として中距離ミサイルの開発が必要だ」と語った。これまで中距離核戦力(INF)全廃条約に縛られず、大量の中距離ミサイルを開発してきた中国を名指しし、危機感をあらわにした形だ。 エスパー氏は「中国は長年にわたって米国の知的財産を盗んでいる。国家をあげての行為だ」などと述べ、中国を厳しく批判した。その上で、「中国は我々の軍事政策をよく研究している。政治・経済面での影響力を踏まえれば、中国への対処が国防総省にとって最大の課題となる」と明言した。 

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★ファーウェイ「会社存亡の危機」 社員に戦時の覚悟要求!。中国通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)の任正非・最高経営責任者(CEO)が「会社は存亡の危機を迎えている」との認識を示し、社員に「戦時」の覚悟を呼びかけていることが、同社が公開した社内文書で明らかになった。任氏は7月19~20日の講話で、「戦場に行きたいならば、縄で身をくくりつけて戦車を引け。皆にこうした決心が必要だ」と強調。「最も危機的な時期を乗り越えれば、会社は力強い軍隊となり、世界に覇を唱える」とも述べ、世界18万人の社員に発破をかけた。

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☆「山陰柴犬」復活、絶滅危機からの奇跡!。国内外で人気のある柴犬の中に、独自の血統と特徴を持つ犬がいる。鳥取県固有の山陰柴犬だ。温和で人に従順な性格の小型犬で、山陰地方の人々に寄り添ってきた。戦争や感染病の流行など何度も絶滅の危機に瀕(ひん)しながらも先人たちに守られ、命が受け継がれてきた山陰柴犬。保存活動にあたる山陰柴犬育成会(鳥取県湯梨浜町)は「これからも日本古来の命を未来につないでいきたい」と話す。山陰柴犬育成会の活動拠点となっている湯梨浜町の国指定重要文化財、尾崎家住宅。山陰柴犬の4歳の雌の「こゆず」が尾をふりながら駆け寄ってきた。危機感を抱いた愛好者らは平成16年に山陰柴犬育成会を結成。飼育の助言や繁殖の手伝いのほか、飼い主が一堂に会する鑑賞会を開くなどの活動を続けてきた。近年はインターネットに取り上げられる機会が増え、その風貌や気質からジワジワと人気が上昇。6年に約100頭だった数は、現在約450頭に増えている。育成会の松本守人事務局長(62)は「山陰柴犬を守るには多くの人に知ってもらうことが重要。興味を持ってくれる人を増やしたい」と意気込んでいる。

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☆上海に見切りをつける日本人飲食店経営者が後を絶たない理由 !。マレーシアの首都クアラルンプールでは近年、日本人が経営する飲食店の出店が相次いでいる。これら飲食店の中には、中国での経営に見切りをつけた“中国脱出組”が少なくない。振り返れば、2010年代に入った頃から、徐々にその動きは始まっていた。2012年の反日デモが、一部の日系製造業に撤退決断の契機をもたらしたが、コスト上昇で上海経営のうまみが薄れつつあった一部の日系飲食業界でも“撤退作戦”がささやかれるようになっていた。業界で古株といわれた坂下浩盛さん(46歳)の上海出店は、1998年にさかのぼる。当時は、ホテルの中に店を構えるスタイルが主流で、上海の日本料理店は路面店を含めて30店舗ほどしかなかった。その時代を坂下さんはこう回顧する。2000年代に入って中国がWTOに加盟すると、日本から企業がどっと上海に進出。2010年には上海万博が開催され、日系企業の進出がさらに加速した。日本料理店は日本人駐在員にとっての息抜きの場ともなり、坂下さんの店も繁盛店の1つとなった。だが、坂下さんは「必ずしももうかってはいなかった」と振り返る。「2010年代に入ると、従業員の賃金は一昔前の700元から5倍に、能力のある社員は10倍に跳ね上がりました。食材も日本並みに上がるどころか、テナント料もすでに東京の水準を上回るものになりました。多くの飲食店経営の日本人仲間が街の再開発とともに立ち退きを迫られ、店を転々とさせたのもこの時代。不動産価格が高騰して、まるで物件の大家のために働いているような感じでした。この頃から、上海で経営する一部の日本料理店オーナーの間で、“上海脱出”が話題に上るようになったという。彼らが注目したのはマレーシアだった。賃料、人件費などの固定費が上海の約半分で済むことと、政府の政策に安定性があることが、日本人オーナーたちの関心をひいた。