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★“漫画の聖地”「トキワ荘」復元施設が7月公開 4畳半の部屋も!。手塚治虫さんをはじめ、日本を代表する漫画家が若き日を過ごした東京 豊島区のアパート「トキワ荘」を復元した施設が跡地近くに完成し、報道関係者向けに公開されました。「トキワ荘」は昭和27年に建てられた木造2階建てのアパートで、手塚治虫さんや赤塚不二夫さん、石ノ森章太郎さん、それに藤子不二雄のコンビなど、日本を代表する漫画家がともに生活しながら腕を磨いた「漫画の聖地」として知られています。豊島区は、地元の商店街と連携し、漫画文化を発信する拠点として「トキワ荘」を原寸大で復元することになり、このほど、跡地近くの公園に「トキワ荘マンガミュージアム」が完成しました。施設の2階には漫画家が住んでいた4畳半の部屋が並び、当時の生活を追体験できる演出が施されています。復元にあたっては、写真を集めたり、当時住んでいた漫画家から聞き取りを行ったりして、塗装の色合いなども忠実に再現したということです。1階は展示スペースで、最近になって区に寄贈された、今ではほとんど残っていない漫画雑誌や、漫画家100人余りのサイン色紙などを見ることができます。豊島区の高野之夫区長は「地域の皆様の長年の思いが、全国のファンの力添えもあり、ついに実りました。漫画・アニメの歴史をこの地から発信し、漫画文化を発展させていく第一歩にしたい」と話していました。施設は来月7日から一般公開されますが、感染防止のため、当面は事前の予約制になるということです。元住人が語る「トキワ荘」「トキワ荘」は昭和27年に現在の豊島区南長崎に建てられた木造2階建てのアパートで、漫画家が住んでいた2階には4畳半の部屋が10室ありました。昭和20年代から30年代にかけては手塚治虫さんや赤塚不二夫さん、石ノ森章太郎さん、それに藤子不二雄のコンビなど、日本を代表する漫画家が住み、切磋琢磨しながら制作活動に励んだ「漫画の聖地」として知られています。昭和57年に老朽化のため取り壊されましたが、跡地には今も多くのファンが訪れています。漫画家の水野英子さんは18歳だった昭和33年に「トキワ荘」に入り、石ノ森さんや赤塚さんたちとおよそ7か月を過ごしました。「星のたてごと」や「白いトロイカ」などが代表作で、女性少女漫画家の草分けと言われる水野さんに今回、復元された施設の中で話を聞きました。取り壊される前に水野さんが撮影していた内部の写真は今回の復元作業の資料として使われ、自身も壁の色や室内の様子を再現する際の監修を務めました。水野さんは「机の色は当時あったものとかなり近いですし、炊事場が雑然した感じもよく再現されています」と話しました。水野さんの部屋は階段を上がって4つ目の19号室でした。それぞれの部屋のドアは開けたままで、昼夜を問わず互いに行き来する自由な雰囲気だったといいます。水野さんは「自分の部屋からは石ノ森さんがレコードをかけながら漫画をかいている姿が見えて、この場所に立つと当時に戻った感じがします」と話しました。当時、漫画は「悪書」とされていた時代でしたが、手塚治虫さんにひかれて集まった若い漫画家たちが、制作活動に没頭しながら、時にはみんなで騒いだり、語り合ったりしていたということです。そして「トキワ荘」は同じ目標を持った人たちが夢をかなえる場だったといいます。水野さんは「当時は漫画家になると言ったら親から勘当される時代でした。そんな中でいつか漫画を自分の一生の仕事にするという夢をみんな持っていて、24時間、仲間と漫画の話をして漫画を描ける天国のような場所でした」と話しました。「トキワ荘」の復元にあたって水野さんは、当時、自分の部屋に飾っていたカウボーイの絵をクレヨンで描き直しました。この絵について水野さんは「部屋が寂しかったので描いていたら、石ノ森さんや赤塚さんが見に来て、『おーうまいな』と言ってくれたのを覚えています。当時よりは上手になったと思うので、全く同じようには描けていないと思いますが」と話していました。「トキワ荘」が復元されたことについて水野さんは「復元されたのはうれしいですし、夢みたいです。トキワ荘がここまで有名になるとも思わなかったし、復元の手伝いをするなんて思ってもいなかった。当時住んでいた漫画家の皆さんが生きていたら、復元されたことをさぞ喜んだと思います」と話しました。復元の立て役者は地元商店主 今回の「トキワ荘」復元の立て役者は地元の商店街の店主です。時計店を営む小出幹雄さん(62)は区と連携しながら10年以上にわたって活動を続けてきました。小出さんは、近くに「トキワ荘」があった地元の商店街ににぎわいを取り戻したいと地域を1軒1軒訪ね歩いて、「トキワ荘」にまつわる資料やエピソードを調べました。その中で、取り壊される前の写真や当時住んでいた漫画家の直筆サインなどが見つかりました。そして、漫画家やプロダクションとも関係を築き、キャラクターのモニュメントやトキワ荘を紹介する休憩所を次々に整備していきました。こうした「漫画によるまちづくり」の集大成が今回の「トキワ荘」の復元で、集めた写真や住人の証言などを元に建物や内部の様子を忠実に再現しました。小出さんは「商店街に活気があったころは『トキワ荘』は身近にありすぎて特に意識していませんでした。当時住んでいた漫画家の先生たちの強い思い入れに接する中で、復元した『トキワ荘』を地域の活性化だけに利用するのではなく、若い漫画家の育成など、漫画文化の発信地になるような街づくりを続けたいと思うようになりました」と話していました。コロナ影響で延期中に新たな資料も「トキワ荘マンガミュージアム」は、今年3月下旬にオープンする予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で3か月余り、延期されました。然し、延期になったことで展示が間に合った企画もあります。昭和22年から30年にかけて刊行された月刊の漫画雑誌「漫画少年」101巻のうち93巻がまとめて区に寄贈され、展示できることになりました。「漫画少年」には手塚治虫さんが「ジャングル大帝」を連載したほか、当時は珍しかった投稿コーナーに、後に「トキワ荘」に住んだ多くの漫画家が投稿していたことから、「トキワ荘」にゆかりの深い漫画雑誌とされています。寄贈したのは「トキワ荘」に通っていた漫画家の永田竹丸さんでした。『漫画少年』の展示について「トキワ荘」の元住人で漫画家の水野英子さんは、「延期が決まったときは残念でしたが、結果的にトキワ荘に人が集まるきっかけにもなった『漫画少年』の展示ができることになったので、運命的なものを感じます」と話していました。

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★“緊急事態宣言の再指定など現時点で必要ない”西村経済再生相!。新型コロナウイルスの新たな感染者数が、東京都で27日、緊急事態宣言の解除後、最も多くなったことについて、西村経済再生担当大臣は、新たなクラスターが発生していないかなど分析を進めるとする一方、現時点で緊急事態宣言の再指定や、都道府県をまたいだ移動の自粛を求める必要はないという認識を示しました。新型コロナウイルスの新たな感染者数は、27日、東京都で57人が確認され、緊急事態宣言の解除後では最も多くなったほか、全国でも、26日に100人を超えたのに続き、27日も90人を超えました。これについて、西村経済再生担当大臣は記者会見で「東京都から近県に広がってきていることを警戒をしている。首都圏各県の状況のデータマッピングを行っており、どの地域でどことの関係で、新規感染者が出ているのかや、これまで以外のクラスターがあるのかなどデータにもとづき、しっかりと分析していく」と述べました。一方で、「医療体制には余裕があるので、今の時点で緊急事態宣言の再指定をするとか、心配があるというわけではない」と述べ、現時点で緊急事態宣言の再指定や、都道府県をまたいだ移動の自粛を求める必要はないという認識を示しました。

f:id:azims:20200629094710j:plain★7月からレジ袋有料化 デパートなどでも動き広がる!。レジ袋の有料化が来月1日から義務づけられるのに合わせてデパートなどでは紙袋も有料にする動きが広がっています。繰り返し使えるマイバッグの利用を促すねらいがあります。このうち三越伊勢丹ホールディングスは、来月1日から順次、直営の食品売り場で、プラスチック製レジ袋の提供をやめ、代わりに紙袋を有料で販売します。従来の紙袋より、厚みを増して耐久性を高め、はっ水加工も施しているということで、価格は大きさによって30円か50円となります。衣料品や雑貨売り場では、引き続き無料で紙袋を提供します。三越伊勢丹ホールディングス、グループ総務部の石神彩子さんは、「取り組みを通じてマイバッグの持参率を3割まで高めていきたい」と話しています。また、食品小売りのカルディコーヒーファームは、450店舗余りでことし4月からレジ袋の無料提供をやめました。代わりに紙袋を15円で販売するとともにマイバッグの品ぞろえを増やし利用を促しています。小売業ではプラスチックごみの削減や環境負荷の抑制につながるとして無料のレジ袋をやめ有料の紙袋に切り替える動きが相次いでいて、マイバッグの利用がさらに広がるか注目されます。

f:id:azims:20200629065804j:plain◇年中無休:「在宅リハビリ」介護者の見守り・介助・同行が必要。1日の動作(朝6:00起床・昼・晩22:00就寝)、歩行器・車椅子・椅子・ソファー・手すり・等の歩行(立位)ベッド(仰向位)・食事・用便・シャアワー・等、体幹・四肢の運動、筋肉協調、体力の向上維。

f:id:azims:20200629065729j:plain★季節の花:あじさい(紫陽花)の花言葉 ... あじさいの花言葉は、「移り気」や「浮気」「無常」です。 この花言葉は、あじさいの花の色が時期によって変化することから付けられたと言われています。 あじさいの色ごとの花言葉は、「青=辛抱強い愛情」「ピンク=元気な女性」「白=寛容」です。

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☆11:20 訪問リハビリ(理学療法士の理学療法・セラピー・各種機能訓練)。※体幹の安定維持(正しい姿勢の維持:骨盤底筋)・四肢筋協調運動及全身持久力向上。※療法士と、実行プログラムについての評価・課題・修正・世間話等f:id:azims:20200629070751j:plain★東京都内で60人感染確認 緊急事態宣言解除後で最多 !。都の関係者によりますと、28日、都内で新たに60人が新型コロナウイルスに感染していることが確認されたということです。都内で1日に感染が確認された人の数としては、先月25日に緊急事態宣言が解除されたあとでは最も多くなりました。これで都内で感染が確認された人は、あわせて6114人になりました。

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★パキスタンから成田到着の男性 検疫所で感染確認 !。厚生労働省によりますと、26日、パキスタンから成田空港に到着した男性が、空港の検疫所で新型コロナウイルスに感染していたことが新たに確認されました。発熱などの症状はないということです。空港の検疫で感染が確認されたのは、合わせて307人となりました。

f:id:azims:20200629070954j:plain★大阪府内で5人感染確認 !。府は28日、新たに20代から40代の男女合わせて5人が新コロナウイルスに感染したことが確認されたと発表しました。感染が確認されたのは、大阪市の男女3人と、高石市の女性2人で、いずれも症状は軽いということです。またいずれも感染経路は分かっていません。これで、大阪府で感染が確認された人は1821人となりました。f:id:azims:20200629071216j:plain★北海道 小樽で14人感染 “昼カラ”の営業自粛要請 !。新たに小樽市で昼間のカラオケを利用した14人が新型コロナウイルスに感染したことが確認され、市は昼間のカラオケの営業自粛を要請しました。28 日は道内で17人の感染が確認され、緊急事態宣言が解除されから最も多くなりました。28日、道内で新たに新型コロナウイルスの感染が確認されたのは、小樽市で14人、札幌市で2人、石狩地方で1人の合わせて17人です。小樽市内で14人の感染が確認されたのは、1日としては最も多く、道内では5月25日に緊急事態宣言が解除されてから初めて10人を超え、最も多くなりました。小樽市によりますと、28日、感染が確認された14人は全員、小樽市中心部の繁華街、花園地区にある昼間にカラオケができる3店舗のスナックいずれかの利用者だということで、市はこの3店舗でいずれもクラスター=集団感染が発生したと認定しました。市は、感染経路が追えていないとして、このうちの1店舗が市内のスナック「カレン」だと店名を公表し、利用した人は市に連絡するよう呼びかけています。昼間のカラオケに関係する感染者は、これで死亡した1人を含む33人になりました。年齢が公表されている人は全員60代以上だということです。小樽市の迫俊哉市長は記者会見で「緊急事態宣言中と同程度の発生状況で、大変強い危機感を持っている。一連の感染では、濃厚接触者の範囲が相当広くなっていて、さらに新たな感染者の発生が予想される」と述べました。そのうえで迫市長は、感染拡大を防ぐため市内の昼間のカラオケの営業自粛を要請するとともに、市の公共施設を7月12日まで休館すること、市の保健所に職員を派遣して感染症対策班を設置し、体制強化を図ることを明らかにしました。営業を自粛した店舗には、協力金の支払いを検討しているということです。道内の感染者はこれで延べ1239人、このうち死亡したのは99人となりました。小樽の繁華街は新型コロナウイルスの感染者が利用したスナックがある小樽市中心部の繁華街、花園地区は、28日午後4時ごろ人通りはなく閑散としていました。感染者の発生が相次いでいることを受け、昼間にカラオケができるほぼすべての店舗が自主的に休業していて、閉められたシャッターには「市内で感染者が出たためしばらく休業します」などと書かれた紙が貼られていました。